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zoom RSS 見学会「岩槻・忍城落城物語り」 2018.6.16(土)

<<   作成日時 : 2018/06/18 16:55   >>

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お天気が心配な小雨の朝、バスの出発時にはほぼ止み、プロデューサー兼先導役の斉藤文孝さんの案内で、33名が定刻に出発。梅雨時としては蒸し暑くなく、歩くには快適な見学会日和とも言えます。
岩槻の慈恩寺に着くまでの車内で、「北条記」や「秀吉朱印状」を含む主要な資料の解説を受け、学習モード全開です。
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今回の見学会は、特に天正17〜18年(1589〜90年)の秀吉の北条攻めにスポットライトを当てた埼玉バージョン。慈恩寺の鉄灯篭は岩槻城の守りの中心となる家老・伊達与兵衛房実が寄進したもの。屋外でもあまり錆びずに残っていることにオドロキ。現在の鉄材との違いの解説もあり。

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慈恩寺を後にして岩槻城周辺は、この地区のガイドのベテランでもある犬走東道さんの案内をお願いしました。お手製の大地図を示して、鎧宮八幡神社〜愛宕神社〜大構遺構〜城址公園〜新曲輪を巡りました。

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鎧宮八幡神社は、寄せ手の浅野軍に合流した徳川家康の軍が鎧具足に身を固めた神社とされています。
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小さな神社ですが、狛犬が子連れの獅子であることを面白く感じました。

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次に立ち寄った愛宕神社、岩槻城の大構の土塁上に建てた立地が珍しい。土塁の向こう側を堀が取り囲んでいたそうです。
この後、さらに城の遺構を求めて、城址公園付近を歩きました。城を取り囲んだ浅野軍が攻めたであろう”黒門”や薬医門形式の裏門を見学。大構の堀が障子堀の形態になっていたことも教わりました。

午後は、高速道を利用して行田のさきたま古墳公園に向かい、新レストハウスで持参の昼食を摂りました。
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丸墓山古墳の上から石田三成が遠望し策を練ったとされる忍城攻略の水攻めを想像しました。さらに、下に続く石田堤に沿って歩きました。「成田記」や小説「のぼうの城」の一節も参考に示されました。

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石田堤を訪ねて、行田市の県指定史跡表示板から、鴻巣市の石田堤史跡公園を往復。途中、堤が決壊したと伝えられる堀切橋を渡ります。オシャレな橋です。近くの案内表示によれば、昭和8年に架けた橋で、土木遺産に指定されています。
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行程の終盤は、忍城跡に近づきます。先ず、行田市郷土博物館の展示見学。学芸員の方の分り易い説明が印象的でした。今回のテーマからは外れますが、特に利根川流域の埋没地となっている酒巻14号墳の埴輪群の展示は見ごたえがあります。

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近くの忍諏訪神社は、1190年ころ一族が建て、約300年経った後、1491年に忍城を築いた成田親泰が城鎮守としたとのこと。その後約100年で城は落城したことになります。

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忍城攻めに抵抗した激戦地「佐間口」で死闘を繰り広げた正木丹波守利英に因んだ佐間天神社と天真山高源寺も見学しました。後者は、「皆朱の槍」を許された正木丹波守利英が落城後、武士を捨て開基した寺と知りました。

今から400年以上前の埼玉の地で濃密な人間ドラマがあったことを改めて思い知った一日でした。楽しい見学会の開催にご尽力いただいた皆様に感謝します。(nimo)

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