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zoom RSS 武蔵浦和駅周辺・鹿手袋を歩く―まち歩き研究会

<<   作成日時 : 2018/03/30 12:05   >>

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今回の「まち歩き」はソメイヨシノの花が咲き始める気候の中、浦和の西南部・武蔵浦和駅を中心です。参加は32名。R埼京線・武蔵野線の「武蔵浦和駅」に集合、近年、急速に発展してきた街ということでまずは場所の説明からスタート。駅すぐ横の田島通りを中心に、「鹿手袋」という珍しい地名の周囲を縦横に流れる排水路を中心とした散歩になりました。

まずは、17号道路を越えた坂道に建つ睦神社、もとは富士浅間社で、大宮台地上の崖線上にあります。崖の下には今でも小さな池がありますが、かつてはここで雨乞い神事が行われたそうです。この地が海(太平洋!)に面した温暖な地であったことを示す社叢林は市の天然記念物です。
近くの医王寺には、延慶二年銘の立派な石塔婆(市有形文化財)と鐘楼、崖の上には薬師堂があります。

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崖線に沿って進むと、これもかつての入間川の川筋を残す白幡沼。その畔には女人講のものと思われる庚申塔が静かに建っています。次いで17号線沿いの白幡観音堂へ。六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)の思想により並べて祀られた六体の地蔵菩薩があります。いつ来ても、この地蔵は地元の人達の手により大切に扱わていることがわかります。

また田島通りに戻って田島観音堂へ。ここも地元の方が保存をされている六地蔵が迎えてくれます。境内には身代わり地蔵のひとつ「いぼ地蔵」も祭られています。この観音堂の裏の遊歩道が「田島排水路」で、ここから鴻沼川までゆるいカーブを描いて伸びていますが、歴時時代以前、ここを流れていた河川(入間川)が鹿手袋地域を区切っているのです。今では幅五メートルほどしかない遊歩道ですが、きれいに地区が分割され、かつての地形をしのばせてくれます。

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この地域は、現在では「高級住宅地」として発展していますが、1990年に住居表示が実施されるまでは「しってぶくろ」と呼称していました。かつて存在した鴻沼や地区南部を旧入間川の流路が流れていたことから、水辺に多い地名である「袋」がついたとされます。北部は別所沼公園やさいたま市役所が所在する別所・常盤地区の高級住宅地に隣接していますが、このエリアには関東大震災後、鎌倉文士に浦和画家として知られる文化人が多く移住し、資産価値を謳った宅地開発が進み、鹿手袋の宅地化にも影響を与えました。1973年に武蔵野線、1985年に埼京線が開通し、武蔵浦和駅の開業により交通の便が格段に向上、鹿手袋周辺は宅地化され、武蔵浦和駅周辺には超高層マンションが林立するようになりました。宅地化の進展により2015年と2016年には埼玉県内で最も地価の上昇率が高い地域となったようです。

次に、これもかつての河川の後を利用した別所排水路は「花と緑の散歩道」となって新幹線と並行して別所沼公園まで伸びています。サクラは3分咲きくらいでしょうか。これも入間川の川跡といわれる別所沼公園の池を見ながら昼食休憩。

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午後はすぐ近くの中浦和駅近くの新明神社古墳を見学。かなり大きな古墳で、保存状態もかなりいいようです。近くは、庚申塔や引又(志木)や大山方面を示す標識の石碑などもあり、ここが古い街道筋であることがわかります。

中浦和駅で解散する人もかなりいましたが、最後は浦和最古の寺院・玉蔵院を訪れ、豪華な地蔵堂と満開のシダレザクラを堪能しながら浦和駅に向かいました。
NT記



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