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zoom RSS 上岡観音(馬頭観音)の絵馬市(妙安寺)と周辺散策

<<   作成日時 : 2018/02/21 20:42   >>

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●暖かい天候に恵まれ、14人の参加者は楽しい一日を過ごす。(風等で4人のキャンセルがあったが惜しかった)
・妙安寺の境内にある馬頭観音は、今から約800年前の鎌倉時代に瑞慶和尚により軍馬や農耕馬の守り観音として信仰を集め、やがて旧陸軍の騎馬隊やバクロウ、競馬界などの馬に関係する人々から崇められ、その信仰は東日本一帯に及び「上岡観音を参拝しない馬持ちはウマカッタといってはならない」とさえ言われたそうです。又、界隈は観音さまを中心に街道筋の重要な宿場にもなっていました。そして毎年2月19日の縁日にはおおいに賑わったそうです。まだ、農耕具として馬や牛達が大活躍していた時代(昭和30・40年)には新聞記事の見出しには、当時の大盛況の有様が載っており、関東一円の観光バスが200〜300台も道路に数珠になったことや、夜行列車で熊谷駅から来た人々が上岡まで群れをなして歩く姿が途切れることなく、付近の宿屋も縁日の収入だけで一年の生計がまかなえたと! しかし、農業の機械化により農耕馬姿は消し、平成3年には絵馬講と呼ばれる絵馬の販売組織も解散され、淋しい思いを余儀なくされた。(絵馬講の員数が80人超が7人に)当然、絵馬市は開かれず、絵馬は寺が御札の頒布と同じように希望者に売る。
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・思わぬ転機が平成10年12月に訪れる。絵馬講により運営された絵馬市が『国の選択無形民俗文化財』になり、もと帳元の根岸氏が会長となり、絵馬市保存会を結成し、再び縁日に絵馬市が立つ。昔からの絵馬師でなく、本日の絵馬は飯能市の人が絵柄を書いたとのこと(材料は西川材?)乗馬クラブや牧場関係の人や趣味で絵馬を集めている人(女性)が、値の張る絵馬を求めていた。
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 ■主体的に販売しているでデザイン3点

・例大祭です。ポニーを含め5頭が御祓いを受けていました。(昼頃に乗馬クラブの面々もお祓いを受ける)
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    ■馬頭観音堂の前で集合写真

★名残惜しいですが、昼食を摂りながら12時過ぎに観音堂を跡にする。
 のどかな田園風景の中、歩いて30分ぐらいで光福寺に着く。通常は鍵の掛かっている小屋の中に保管されているが事前に依頼し開放してもらいじっくり鑑賞できた。鎌倉後期を代表する均整の取れている宝篋印塔(国の重要文化財)と武蔵型板碑を代表する図像板碑で、美しい来迎相の阿弥陀三尊図像の板碑(県指定)を見学。

続いて甲山古墳(県指定)6世紀前半、全長90m、高さ11.25m、2段築成の大型円墳(帆立貝型古墳の説も!)
見学。(墳頂には甲山神社が!)

その後は、根岸家長屋門(国登録有形)へ、根岸家は、中世に活躍した熊谷次郎直実の末裔とされ、戦国時代には小田原北条方の松山城主上田氏に仕え、のち帰農し甲山村に土着したと伝えられている。根岸友人は、豪農として資産多彩な人脈で活躍(勤皇攘夷派・江戸警護の新徴組に!)武香(友山の次男)は明治元年以降、新政府で活躍、考古学者としても黒岩横穴群や吉見百穴の発掘に携わる。
友人・武香ミュージアムで多くを学ぶ。根岸家の墓地に立寄り、その後、7世紀頃、丘陵の斜面を掘りくぼめて造ったの登り窯の大谷瓦窯跡(国登録有形)を見学する。帰りは熊谷駅と東松山駅に向うバスに乗り帰路へ。お疲れさまでした。有難うございました。

・絵馬市の見学は初めて、期待していた以上に楽しめた。参加してみないと味わえない雰囲気でもあった。いつもの駐車場は露天商、植木市、金物店、竹細工雑貨店、休憩所等、子供は保育園児のみ、バスも習志野や八王子ナンバーあり、乗馬クラブの馬も多く、ポニーもエサを貰い牧場にいる感じ、絵馬講の保存会会長にお話を聞く機会もあり、何時までも残し、楽しみながら応援したい。(TM記)













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