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zoom RSS 江戸城址(東御苑)と周辺ウォーク(修正版)

<<   作成日時 : 2017/02/24 11:01   >>

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  ★平成29年2月22日(水) 東京駅丸の内中央改札口 10時集合 22名参加

 ●大気の不安定で気温の上下変動が激しい日々が続いていますが、比較的穏やかな天候に恵まれた。
   徳川家康没後400年で講演等が多く実施されました。今回は現場を見てみようと企画する。

■本日のコース
    
    ・東京駅・・・・・和田倉門・・・・・桜田二重櫓・・・・・桔梗門・・・・・ 坂下門・・・・・二重橋・・・・伏見櫓・・・・・
         大手門・・・・・東御苑入園・・・・・同心番所・・・・・百人番所・・・・・中之門跡・・・・・大番所・・・・
         展望台・・・・・本丸休憩所(昼食)・・・・本丸跡・・・・・富士見櫓・・・・松之大廊下跡・・・・・
         富士見多門・・・・・天守台・・・・梅林坂・・・・・平川門(不浄門)・・・・・汐見坂・・・・北桔梗門
         ・・・・・北の丸公園・・・・・田安門・・・・・千鳥ヶ淵公園・・・・・半蔵門・・・・・
         外桜田門 (15時到着 解散)
    
 ●皇居東御苑は、皇居造園の一環として旧江戸城本丸、二の丸及び三の丸の一部を
皇居附属庭園として整備、昭和43年10月から宮中行事に支障ないかぎり一般公開される。
約21uの庭園です。
(但し、休園あり) 出入門は大手門・平川門・北桔梗門です。

●江戸城は日本の近世城郭として空前の規模を備えた。
   外郭(総曲輪)を含めた城内の広さは約3キロメートル四方におよび大阪城や名古屋城、
姫路城などをはるかにしのぐものであった。
   ・天下の城として面目一新したのは家康の入国以後であり、入国とともに、
江戸の町つくりを始め、城の整備に取り掛かった。以後、秀忠、家光の三代にわたって
諸国の大名に奉仕させて、どこよりも広く、どこよりも堅固な城郭を完成させた。

 ●最近、松江市歴史館が所蔵している江戸城が描かれた、『江戸始図』が、
   1607〜09年ごろの徳川家康による築城直後を描いた最古級の図面だと発表した。
   石垣や土塁の構造がより詳しく描かれ、江戸城中心部の詳細が分かる資料としている。
  
  ・「江戸始図」では、姫路城のように大天守と小天守が連立していたことや、一気に進入させるのを
   防ぐため南側出入り口の城壁が互い違いになっている、熊本城と同様「5連続外枡形」が確認できる。
  
 ●江戸城の内郭部は、本丸・西の丸・二ノ丸・三の丸・吹上・北の丸などの各曲輪から構成され、今でも
  眼にすることのできる深い濠(堀)、巨石を組み上げた石垣は、その当時の徳川氏の威厳をより雄弁に
  物語っている。
  ・明治以降は、封建制の建物の撤去、道路建設などの理由で、改造され昔の面影を残すのは堀と石垣
   と門(桜田門・和田倉門・田安門は往年の形を残っている)そして、三ヶ所の櫓だけである。
 
  ・明暦3年(1657)の大火では、本丸も天守閣(その後、天守台は御影石に取替築造、高さ13.8m) も
   燃えた。その後も、関東大震災や東京大空襲で失った建物が多い。物によっては数度の修理等を重ね
   復元並びに再現されちる。

  ■コースでの出来事や写真です。

   ・桔梗門付近では、なぜ松の木が多いのか?、松竹梅の話や皇居の参観等について説明。
   ・坂下門では、皇居警察騎馬隊の不定期な訓練(散歩?)に出会う。巡り合うのはラッキーであった。
    騎馬隊は皇居行事や警護及び各種パレード・交通安全教育を行っているとのこと。
    
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   ・皇居のお堀は、アオコノや悪臭が発生等水質の悪化が目立っている。
    昭和40年ころまでは玉川水路を通じ淀橋浄水場の余剰水が供給されたが、その後は供給がなく雨水に
    頼っている。 環境省で平成7年から循環濾過方式の施設を本格的に稼働し、春〜秋に運転している。  
   ・富士見櫓が見えます。
   ・
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   ・大手門では敵の侵入を防ぐ「桝形門」に出合う。細長い橋を渡ると屋根付きの小さな門「高麗門」を
    くぐると、高い石垣で囲まれた四角い空間が広がり、威圧感をおぼえるほどである。その上部に渡櫓が
    あり、「櫓門」である。
  
   ・その後、東御苑の入園札を渡され、本丸跡など見学です。
    大きな石はどう運んだのか? 修羅という大きなそりの話などを交え、展望台では二の丸庭園などを眺め
    本丸休憩所にて早めの昼食をとる。
 
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  ・昼食ごは。富士見櫓、松の大廊下跡、富士見多門を見学し、本丸跡のリュウキュウカンヒザクラも見学
   天守台へと足を運ぶ。
 
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  ・天守台は、標高25mに位置していた。慶長11年(1606)に天守台が、翌年には五層の天守閣が建造。
   天保8年(1622)本丸の大改修に伴って現在地に改築。
   明暦の大火(1657)で天守閣焼失、その後造営されることはなかった。
  ★2020年東京オリンピックぬ向け木造で江戸城天守の再建運動実施中、費用は約350億。
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 ・梅林坂の梅も満開。
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 ・「桝形門」が完全な姿で残っている平川門へ、平川堀に延びる細長い帯曲輪を持つ特異な門。
  守備兵を配置すれば、堀の向こうの敵を迎撃できる、北方の守りの要となる門。
 ・大奥に近く、大奥女中が外出する際に使用されており、「御局御門」と呼ばれていた。
  江戸城の鬼門の方向にあることからその脇には「不浄門」が設けられ、罪人や遺体はこの門から出された。
  浅野内匠頭や江島などもこの門から出された。逸話の多い門。
 
 ・本丸と二の丸を結ぶ汐見坂を通り、北桔梗門から東御苑を後にする。
  北桔梗門は太田道潅時代の大手門で、北への重要地点のためハネ橋にしてあった。
  この門から出てみる石垣と堀が一番美しいと言われています。
  
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  ・次に、北の丸公園に向かう、出口の田安門は慶長12年(1607)創建し、現在の門は嘉永13年(1636)
   築のもので、現存する江戸城の建築遺構の中で最も古い。歴史を感じる柱等であった。
   石垣の刻印か? 参加者で吟味?

 
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  ・桜が咲くころは身動き取れないほど賑わう、千鳥ヶ淵公園を歩き、遠くから半蔵門を眺め、堀りの大きさ・
   深さを確認するには最高の場所を通過し、また、海と川、台地が入り込む姿を思い描きながら
   台地の高低差を実感しながら外桜田門に到着する。

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  ・皆様、最後までお元気に歩きました。(お一人途中でリタイア)
   お付き合いいただきありがとうございました。感謝申し上げます。

   まだまだ面白いことが、そして発見できることが沢山あります。
   楽しみながら・・・・・・

   次回は5月5日 「府中市のくらやみ祭」を予定しています。
   
  





















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